地域への思いを食を通じて形にする/登米市座談会

宮城の食の基地・登米から。未来のために発信したいこと


宮城県の北部、岩手との県境に位置する登米市。米の一大産地としての広大な田園地帯やラムサール登録湿地・伊豆沼、内沼、長沼など渡り鳥の越冬地として知られています。伊豆沼のほとりで、自社で育てた米や豚の加工販売やレストラン「くんぺる」を経営する有限会社伊豆沼農産。同社取締役で企画室室長の佐藤裕美さんは、農業への思いを胸に東京の広告代理店勤務から8年前にJターン。気仙沼出身の斉藤惠一さんは、登米市に移住後、登米の郷土料理「はっと」を愛称にした登米市初のコミュニティFM「株式会社登米コミュニティエフエム」を設立。代表取締役兼局長として日々地域密着の報道に邁進しています。そして登米市出身の菅原和哉さんは震災後、「食で地域おこし」を目指し神奈川県からUターン。米粉のピザをキッチンカーで移動販売する「石窯工房HAIJI(ハイジ)」を起業し、焼き立てピザで登米市の食の豊かさを伝えています。ともに東日本大震災が大きな転機になったという3人に、それぞれの仕事や地域への思いを語ってもらいました。


東日本大震災が教えてくれた食と暮らしの安心安全


—まずはそれぞれのお仕事と移住の経緯を伺います。

佐藤さん 2012年に伊豆沼農産に入社、企画室で広報と通信販売を担当しています。生まれは秋田県秋田市ですが、父の転勤で移住した仙台に大学を卒業するまで住んでいました。学生時代は旅行事業を学び、中でもグリーンツーリズムやエコツーリズムに関心があり、農業に可能性を感じていました。でも卒業後の就職は東京の広告代理店に。農業に就くべきか覚悟が決まらず、時折農村ボランティアをしたりしながら思いは心の中に留めていました。転職のきっかけは東日本大震災です。テレビで流れる地元の壊滅的な被害や福島原発事故に加え、東京で起きた「買い占め」の混乱をみたとき、東京はおもしろい場所だけど、命を繋ぐ基本となる食を生み出すことができないために、災害時にこんなにも不安で揺らぐのではないか。自分自身もこの先、揺らいだ気持ちのまま東京に居続けることはできないと、農業に答えを求めて実家のある宮城県で職を探すうちに巡り合ったのが伊豆沼農産でした。地域については分かりませんでしたが、会社の理念や在り方に魅力を感じました。

斉藤さん 2009年に登米市初のコミュニティFMを設立、2010年の4月に通称「H@!FM(はっとエフエム)」として放送を開始しました。FMの設立は、当時宮城県沖地震の発生確率が90%と言われ、登米市に災害時の地域メディア設立を求める市民活動があったんです。私は宮城県気仙沼市出身で、大学卒業後に気仙沼のケーブルテレビ(気仙沼ケーブルネットワーク株式会社)の開局と同時に入社。こちらに移住する前まで15年勤務していた経験があり、地域メディアについてレクチャーしながら準備をしました。登米市は2005年に登米郡8町と本吉郡津山町が合併して誕生しましたが、コミュニティFMは、合併後初の全域にまたがる事業になりました。
ケーブルテレビ時代は、地域に密着した報道とは何か、現場で体験する日々でした。例えば、気仙沼の大川にタンクローリーが落ちる事故があり、油が流れ出して飲み水の取水ができなくなったことがありました。大手のメディアが事故のみを伝える中、ローカル局として市民の暮らしに役立つ情報をと、給水車の情報を伝え、視聴者から大変感謝されたことがありました。そうした経験を踏まえ、はっとエフエムは災害時に役立つラジオ局として、スタッフの動きや非常時の電気系統、予備機材も揃えた万全の体制を整えていました。東日本大震災は開局から1年後のことでした。登米市はメディアの支局が河北新報社の1社のみで、しかも防災無線はバッテリーが切れていて使用不可。FM電波は途切れずに放送でき、市民の皆さんに地元の細かな情報を伝えることができました。市の「さいがいエフエム」として機能したことを考えるとすべてのタイミングに驚くしかありません。津波の被災地の南三陸町や気仙沼市に機材とともにスタッフを派遣し、「さいがいエフエム」を立ち上げる支援もしました。

菅原さん 2015年に「石窯工房HAIJI(ハイジ)」として移動販売車で米粉のピザを販売しています。登米市出身で実家は酪農と米農家をしているのですが、私自身は工業高校を卒業後、飲食とは関係のない仕事をしていました。30歳を目標に起業したいという思いがあり、資金を貯めるために神奈川県の箱根の旅館にアルバイトに入ったんです。バーテンダーをしながら、イタリアン・フレンチのシェフから料理を学び、飲食の世界に興味を持つようになりました。私も起業のきっかけは東日本大震災でした。テレビや家族とのやりとりで地元の被害を知り、何か自分にできることはないか悩んだとき、シェフに「料理で地域おこしをしてみたら」とアドバイスをもらったんです。さらに料理を学び、5年間の修業を経てUターンして起業しました。


仙台牛も彩り豊かな野菜も。食を生み出す力が最大の魅力


—それぞれに登米市の魅力を発信されていますね。

菅原さん キッチンカーは、自分の足でお客様のところに行ける身軽さが強みで、1年目は無我夢中であちこちで出店しました。2年目からは逆に先方から声を掛けてもらえるようになり、今は年間100か所ほどに出店しています。キッチンカーは個性が出しやすく、発信力も強い。実家で作る「ひとめぼれ」の米粉と国産小麦をブレンドし、石窯で焼く米粉のピザはもちもちの生地が好評です。お客様と米粉の使い方について話が盛り上がることも多いんですよ。ピザソースのトマトや玉ねぎ、セロリ、旬の食材も登米産を使っています。登米の産地直売所は彩り豊かで、生産量がそれほど多くなくても試しに作っているような珍しい野菜もたくさんあります。「米粉ピザ」を広く知ってもらいながら、ピザに使用した野菜も一緒に販売するなど、登米の魅力を伝えられるような商品を考えています。

佐藤さん 野菜や米はもちろん、ここは「食の基地」みたいなところ。私も住むまで知らなかったのですが、仙台牛の出荷量の約4割を占め県内1位、養豚も1位。昔から食を生み出せるよう土地を管理し、生産量を維持してきた。これは大変なことだと思います。

斉藤さん この地域の人たちは家庭菜園でもスーパーで売っている野菜より立派に作っていて驚きます。東日本大震災のような災害があっても自分で食べ物を作ることができるし、備蓄もあります。実際に震災時に津波で被災した南三陸の人たちを支えたのは登米の人たちでした。この地域はそういう力がある。


黙っていては豊かな土地も人もなくなる!? 今、地域にできること


—地域の人との関りや仕事を通して見える地域性や課題は?

斉藤さん 気仙沼の狩猟民族出身としては(笑い)、農業は共同作業だから、助け合って当然という意識が底にあると思いました。近所付き合いなどコミュニティが残っているのも農業が基幹産業ということが関係するのでは。基本的に謙虚な方が多いですが、よそ者からすると、何かもっと自信を持っていいように感じています。逆にこれまで、狭い社会ならではの出る杭は打たれる空気もあったと思いますが、震災後、若い人たちがやりたいことを形にしようと行動に移し始めています。自分のような大人が事業を立ち上げ、発信し続けている。地元の新聞社の記者から「その姿に、若者たちが自分たちもやりたいと思うことをやっていいと気が付いたのでは」と言われました。
例えば「はっとエフエム」でカルチャースクールを運営していますが、それも、趣味でヨガやギターをやりたいというスタッフの会話から始まりました。地域のヨガやダンスの先生も発信力のある場で教えることができる。みんなの「やりたい」を応援したい。また、放送を通して伝えたいのは、子どもの成長を助けるお手伝い。何かいいことをしたら「いいね!」と言ってあげる。(番組に)取り上げられてうれしい、褒められてうれしいと、子どもが伸びていく。そんなお手伝いです。菅原さんのように商売をしている方にとっても放送で紹介したことが店の信用になるような、地域メディアとしてそういう会社でありたいですね。

菅原さん 地域性でいえば、キッチンカーで各地の反応を見て来て、登米市は外食文化がそんなに盛んではないと感じます。でも登米の人は地場のおいしい食材にもっと胸を張って欲しい。もっと外から人を呼びこんで食を楽しんでもらう場を作れば、食の体験や発信を通して魅力を伝えることができるし、地域への誇りを生むことになるのでは。自分は登米産食材のピザを売るだけでなく、ピザ作り教室や、空間コーディネートも含めたケータリングで、みんなで作って、食べるという時間と空間を提供しています。移動販売だけでやっていけるモデルを作りたいのもありますが、登米の野菜のプロたちが作るおいしい食をいろいろな形で生かすことで、生産者を刺激できればとも思っています。

佐藤さん 今農業を支えている人たちの多くは75歳以上。消費者の中に、生産者の顔が見える安心なものを求める流れがありますが、このままだと10年、20年後、都市部の人が顔の見える野菜を選んで買うことはできなくなると思います。これを消費者も生産者もどう受け止めていくか。現場で働いて感じるのは、労働に対する対価が厳しいということ。生産者が思いを込め、手間をかけて作るものを将来も求めていくなら、「買って応援」だけでなく、まず一歩踏み込んで現場を知って欲しいと思っています。伊豆沼農産はウインナーや豚まんなどの料理やブルーベリー摘みなどの「食農体験教室」を開催しています。誘客事業で農家の所得向上に繋げる意図もありますが、都市部の消費者が食の生産現場に繋がる意識を持つきっかけになればと。農業について、一歩踏み込んでもらうために都市と農村の交流をもっと増やすことから始めたい。登米市に来て農業を身近に感じて欲しいですね。


自然の恵み感じる、快適な暮らしの場として


—暮らしやすさなど最後にアピールがあれば。

佐藤さん 食を基本に考えた活動や移住を考えているなら登米市は最適。実は東北自動車や三陸自動車、東北新幹線のくりこま高原駅も近く、仙台や石巻、岩手県一関などハブ機能があるんです。

菅原さん 宮城県内だけでなく、盛岡や福島、郡山くらいまでキッチンカーで移動しているのでアクセスの良さは特に感じています。

斉藤さん アクセスの良さからか、日用品などの物価が安いと感じますし、毎日きれいな夕日が見られるほど天候がいい日が多いですね。晴れた空を見れば渡り鳥が飛んでいたり、気球が飛んでいたりね。

菅原さん イベントや出店についてなど、自分が持つ情報やノウハウがあるのですが、自分でイベントを立ち上げるのは難しいし、1人だと発信にも限界がある。登米市として魅力を伝えるひとつのプロジェクトができるといいのでは。

佐藤さん 仲間づくりですね。

斉藤さん 何か見えてきましたね。FM局としてはやりたいことがある人たちの横のつながり、年代を超えた縦の繋がりも手伝いたい。伊豆沼農産の社長には私自身も登米に住んで事業を起こす際などいろいろと支えてもらいました。今後は自分も誰かを支えていきたいと思っています。

それぞれ、地域の将来や人々の暮らしを思い、事業を進めてきた3人。「黙って見ていたら、豊かな土地の恵みも人もなくなっていく」との危機感をともに、「思いある人々の行動を繋げば、登米にしかできないものが作られていく」と語り合いました。座談会が地域づくりの新たな連携を予感させる出会いになったようでした。

インタビューした人:登米市座談会 佐藤さん、斉藤さん、菅原さん
category: 移住者インタビュー   theme: 登米市

メルマガ登録

サポート登録

イベント情報や支援情報など、最新の情報をメールでお知らせします!