「おかえり」移住を決断したのは、 そう言ってくれる南三陸の人のあたたかさ /佐藤茜さん

震災ボランティアで南三陸を初訪


神奈川県相模原市出身の佐藤茜(旧姓・宮岡)さんが、南三陸町に移住したのは、大学卒業後の2017年3月末のこと。「東日本大震災が起こったとき、私は高校1年生でした。ボランティアに行きたかったんですけれど、安全面と現地への配慮から学校で被災地に行くことを遠慮するよう通達があって。ほかにも探してみましたが、応募できるのは大学生以上のものばかりでした。その後、高校を卒業するタイミングの2013年3月、学校が有志募っ
てボランティアに行くことになったので応募し、たまたま来たのが南三陸でした。丁度がれきの撤去が終わったくらいのタイミングで、何もなくてまっさらで、色のない世界だと思いました」と、南三陸町との出合いを話します。



高校卒業後は東京農業大学で農業を学び、その間も夏と春の年2回、南三陸町にボランティアで来ていたそうです。「ある漁師さん一家にお世話になっていました。私は祖父母も東京で田舎がないんですけれど、なんとなくその漁師さんが祖父母がわりになってくれた感じがして。来るたび、『おかえり』って迎えてくれて。農業を学んできて、仕事も農業関係がいいなと思っていたし、田舎でやりたいという気持ちが強かったので、就活を南三陸でしました」と、佐藤さん。両親は大反対さったそうですが、「無視しました(笑)。私、わかめが茶色いって南三陸に来て初めて知ったんですよ。東京では塩蔵わかめが当たり前だし、ウニが臭くないってことも、回転ずしで出てくるほたてのあの白い部分が貝柱だっていうのも、全然知らなかった。当たり前のことを知ることができたのが、この南三陸だったんです」。


農協で、いちご農家をサポート開始


農業協同組合で職を得た佐藤さん。現在は、気仙沼地域で新規就農したいちご農家や、沿岸部で農業を再開した農家のサポートを行っています。「就職して1年目は、上司の指示が訛りでよくわからなくて困りました(笑)。あとは電話!会って話す分にはなんとなくわかるんですけれど、電話だと結構きつい。今も電話は怖いです(笑)」。

移住してから、大きく変わったことを伺いました。「生活の質がすごく上がったと思います。人間として豊かになったというか。美味しいものがタダで食べられるし、人とのコミュニケーションの部分でも支えあいがあるし。星も、空気もきれい」。


南三陸で、運命の人とも出会えた


2019年10月には、地元の男性と結婚。義理のご両親とご主人と毎日楽しく暮らしているといいます。「私、引っ越してきてから友達がいないことに気づいて(笑)。やばいピンチ!って思って移住者交流会に参加したんです。それで、そこにいた人のつながりで運動サークルに参加して主人と出会うことができました。結婚して、より深くコミュニティーに入ることができた気がします」。



最後に、この町でかなえたいコトについて伺いました。「私は、アルティメットというフライングディスクを使った競技を学生時代からやっているんですけれど、その大会を毎年開催しています。今年9月にも『サンオーレそではま」でやることになりました。競技者が全国から集まるので、これをきっかけに南三陸をたくさんの人に知ってほしいし、ここでおいしいもの食べて、泊まって帰っていってほしいなと思っています。あとは、若い世代の人が一度出て行ってしまったとしてもいずれは帰ってきたくなるような町にできたらな、と思います」。佐藤さんは、満面の笑みでそう答えてくれました。

インタビューした人:佐藤茜さん
category: 移住者インタビュー   theme: 南三陸町

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