第2の人生は「人もうけ」。民泊で人をつなぐ/民泊やまざき 小野寺恵子さん、徳茂さん

津波で自宅が流出


 ぽかぽかと日の差し込むリビングから見える庭。大きな柿の木にわずかに残る実を見つけた小鳥がやってきています。脇には薪割りの台。奥には広い自家菜園。「いなかのばぁばんち」のイメージがそのまま現れたような民泊「やまざき」は、注目を集めた住宅宿泊事業法、いわゆる「民泊新法」の宮城県での登録第1号。夏は一面のハス、冬は白鳥やマガンといった渡り鳥で有名な伊豆沼のほど近く、栗原市若柳地区で小野寺恵子さん、徳茂さん夫妻が営みます。
 冗談を交わし合い、おしゃべりと笑い声の絶えない小野寺さん夫妻。でもお二人は多くの移住者と異なり、夢と希望を持って移り住んだわけではありませんでした。


 2011年3月11日まで、小野寺さんの自宅は気仙沼市鹿折地区にありました。小学校教員だった徳茂さんは定年退職を約1年後に控え、自らの母校である鹿折小に校長として赴任していました。あの日、津波は校舎を1.4mの高さまで襲いました。徳茂さんは児童とともに高台へ避難し寺で3日間過ごした後、学校へ戻り、ライフラインが途絶するなか3週間寝泊まりしたそう。介護施設に勤めていた恵子さんは利用者の世話と対応にあたりながら、避難所である中学校の体育館で1ヵ月過ごしました。
互いの安否は人づてに知るのみで、それぞれ仕事に奔走し、弱い立場にある命を無我夢中で守った日々。自宅はすべて流出。手元に残ったのは、流されたタンスからひきずり出した、強いヘドロ臭のするわずかな衣服だけでした。


ご近所に助けられ、第2の人生スタート


 自宅を失った小野寺さんは住まいを探し始めました。条件は「庭付きの戸建て」。そして敷地756坪、築80年近くという現在の家に出合います。15年の間空き家だったものの、遠方に暮らす家主に代わって隣近所の住人が庭や建物の手入れをし、良好な状態に保たれていたそう。内部をリフォームし、徳茂さんの定年を待って移住しました。
 毎日海を眺めた生活から、里の暮らしへ。新しい環境で、ほとんど経験のない畑仕事や薪割りに意気揚々とチャレンジした徳茂さん。「んだけど、できないでしょ? クワの入れ方からしてヘタなの。見てらんなくて近所の人がみんな寄ってくんの」と笑います。「チェーンソーも草刈り機も、俺がやってっと、みんな勝手に家に入ってきて教えてくれんの、わはは」。「教える」ばかりだった長年の教員生活から一転、「教えられ専門になったんだ」と嬉しそうに話します。
 やってくる人はご近所ばかりではありませんでした。鹿折小校長時代、震災後の支援を通して知り合った多くの人たちが、徳茂さんを慕い、ここを拠点に気仙沼等へのボランティアに通ったのです。関東や関西、海外から「泊めてほしい」と訪れる人もあったそう。昔の教え子も「手伝わせてよ」と何かと声をかけてくれ、特に初任地で初めて担任した教え子は、当時のタイムカプセルの記念碑を「先生の家の庭に置いてよ」と持ってきてくれたとか。恵子さんは持ち前の朗らかさで、次々にやってくるお客さんをもてなしました。
 「そのうちにね、私は人が集まって笑っているのが好きだって改めて思ったんです」と恵子さん。折しも、世間の話題に上っていたのが「民泊新法」。「これだ、やりたい!って。すぐ県に問い合わせたら『第1号ですよ』って言われたわ」。屋号は元の家主のものを拝借して「やまざき」。隣組の住人には長くなじんだ呼び名で、今も愛着を持たれているとか。これが、小野寺さんのセカンドステージの始まりでした。


明るく、真剣に「防災談義」


 法律により民泊で食事の提供はできません。恵子さんはそれに代わって「調理体験プログラム」を設定しました。有機肥料で自家栽培した野菜をのせたピザや、地元特産のレンコンを使った料理などを一緒に作っての試食は、都会から来た人に大好評。他にも、薪割り体験や干し柿づくりなど「自然体験」も多様です。
 もう一つの目玉は「防災談義」。徳茂さんと恵子さんのリアルな震災体験を聞き、命の大切さや防災とは何かを一緒に考えるワークショップです。「教室」や「講座」ではなく「談義」であるところが、ミソ。リラックスした雰囲気でお茶を飲みながら、一人一人が命の重みに思いを寄せる。「一刻を争うとき、隣のおばあさんがまだ避難していなかったらどうするだろう?」。それは東日本大震災だけの特別な出来事ではなく、誰しも遭遇しうるシーンだということを伝えたい。「正解ってないんですよ。想定すること、考え続けること、自分にとっての答えを見つけようとすることが大事」と徳茂さんは言います。
 最初、震災や防災の話題は敬遠されるかもしれないと考えていたとか。「でもね、みんなすごく熱心に聞いてくれるし、自分の思いを話してくれて、逆に驚いたくらい」と恵子さん。老若男女問わず、住む地域を問わず、吸い込まれるように集中して「談義」に参加するそう。「実際に体験した本当の話だから、聞いてもらえるのかもしれません」と恵子さんは言うけれど、きっとそれだけじゃない。お二人の話はときに真に迫り、ときにおかしみを交えて笑いを誘い、最後に本気で考えさせるものなのです。
 徳茂さんは今も、気仙沼へ行くときはなるべく海が見えない道を選びます。「やっぱり怖い気持ちがぬぐえない」。でも、9年が過ぎようとする今だからこそ、静かに話せることがあります。


移住者同士の交流拠点を作りたい


 震災で失ったものはあまりに大きい、でもお二人は「得たものも、ものすごく大きいんですよ」と口を揃えます。「お返しというわけじゃないけど、今は民泊やって『ひともうけ』だ」と豪快に笑う徳茂さん。「一儲け」ではない「人儲け」。人と人とのつながりを広げること。被災し、人のつながりが宝物だと知ったから。「こないだ、女子大生も泊まりに来たんだからな」とニッコリし、「薪割りできた、って喜んでくれたよ」。
 60代で移住し「今は幸せすぎるくらい」と話すお二人。移住を考えている熟年世代へのアドバイスはどんなことでしょうか。「心を開いて地域に溶け込むこと、それだけ」。年齢に関係なく、移住するときには勇気や覚悟を持っているはず。あとはその地になじむだけ。「教えてください」という気持ちで地域に入っていくこと。
 栗原市は移住者の受け入れに積極的なことで知られますが、小野寺さんも行政機関が親切でよく相談に乗ってくれ、アドバイスも的確だと実感したそう。「住人もオープンマインド。栗原は自然豊かで人が良く、移住にぴったり」と太鼓判を押します。
 人が集まるのが好き、と話した恵子さんは今後、移住者同士の交流の場を作りたいと考えているそう。コミュニティができれば発信力も上がり、面白そうなことをしていればさらに外からの人を呼び込める。民泊らしさを生かして、もっと活動を充実させたいと言います。「ほら、年取ってるヒマはねぇべな」と徳茂さんは最後まで朗らかに締めくくってくれました。



自然体験と防災談義の宿
民泊 やまざき
栗原市若柳下畑岡内谷川2
問 080-5554-7030

インタビューした人:民泊やまざき 小野寺恵子さん、徳茂さん
category: 移住者インタビュー   theme: 栗原市

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