二拠点生活が新たなアウトプットのはじまり/小林峻さん

東日本大震災で得たきっかけ、気仙沼へ


2011年3月、小林さんは東日本大震災直後から宮城で支援活動を開始しました。当時瓦礫撤去や泥かきなど力仕事が主だった初期の頃に、不足していた情報発信力を高める活動に携わっていました。その年の秋からは、大学を休学して1年間ボランティア活動に力を注ぎました。休学期間が明けても、まだやり切れていないという気持ちが残り、進路について悩んだ結果、卒業後再び気仙沼の地へ足を向けることになります。

小林さんは、ボランティアとして宮城県各地を訪れる中で、他の地域にはない気仙沼の人たちの強いエネルギーを感じ、「出会った人々」に惹かれて気仙沼の地を移住先に選びました。
「日本の大事なものを作っていくすごい人たち」
震災という逆境をバネにして、前に向いている気仙沼の方々のことを小林さんは「日本の大事なものを作っていくすごい人たち」と賞賛します。
休学中の支援活動で繋がった方々かたのご縁で2013年から本格的に気仙沼で始めた仕事は、俳優渡辺謙さんプロデュースで知られるイベントスペース「K-port」の立ち上げ事業でした。

二拠点生活-min

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気仙沼への移住、キーワードは「人」


「K-port」を立ち上げた後、小林さんは市役所職員として担い手育成事業に携わっています。今、気仙沼は震災からの復興の歩みを少しずつ進めています。街が変化していき、ハード面が整った段階で終わりになるのではなく、ここから更に先へ、今後はソフトの面がついていくような街づくりをしていかなければならないと小林さんは感じています。そのため、地元の人たちが新しい何かに挑戦できるような場を作ることをミッションにしています。そして、場を生かすのは「人」だと考えています。

小林さんの働き方-min

ちょっとしたエピソードも小林さんを動かしました。
自分のことに夢中になり過ぎてしまい、周囲とのコミュニケーションが疎かになってしまっていた時、さりげなく地元の方が声をかけてくれました。ちゃんと見ていてくれた・・。嬉しくもあり、反省の瞬間でもあり、都会では味わえない感覚でした。

「将来に向けて決まりを作らず柔軟に選択肢を持つつもりではいるけれど、長くこの地に関わりを持ち、地元の方々と向き合っていくという部分は外せません。」
人の繋がりに助けられ、移住するということもそれほど大変ではありませんでした。仕事以外の時間は、地元の方や外からきた若い世代の人たちとのコミュニケーションに費やし、外から来た人たちには観光名所よりもその人の希望を聞き、それに合わせて地元の方を紹介し、コミュニケーションの時間を作るようにしているとのこと。小林さんが気仙沼を語る時に欠かせないキーワードはとにかく「人」なのです。


二拠点生活だから出来ること
無い物ねだりよりあるもの探し


この先の気仙沼は、新しいことに挑戦していくことに熱意を持っている街であり、小林さん自身もそこへ飛び込み、そういった場や仕組みを共に作っていきたいと強く願っています。消費する楽しみよりも生産する楽しみを感じることのできる街だと小林さんが言います。「無いということに心配する必要などありません。無ければ作りだせば良いのです。空白の部分を埋める楽しみがこの街にはあります。」新たに気仙沼に向かう人たちのために伝える言葉はこの通りでした。そして更に、たとえば気仙沼で何かを学ぶ時に、外部から知識人を招くのではなく、スキルや知識を持った地元のリーダーから学ぶ、こういった学びの地産地消を目指していくのです。

2拠点生活のすすめ-min

新婚でありながら東京で仕事を持つ奥様と離れて暮らすため、東京との行き来も度々あるそうです。小林さんにとって、他地域へ赴くことは休日らしいリフレッシュというより、アウトプットのチャンスなのだそうです。仕事もプライベートも境目を作らず、常に前を向いている小林さんの瞳は輝いていました。

インタビューした人:小林峻さん/気仙沼市 震災復興・企画部
category: 移住者インタビュー   theme: 暮らし 気仙沼市

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