多賀城を発信する場所へ、Uターンした地元ではじめたコミュニティカフェから広がる可能性

東京から地元へUターン、「地元に貢献できる仕事をしたい」

 

JR「陸前山王駅」の目と鼻の先。駅から徒歩 1分という一等地に現れる真っ白い壁、大きめの窓ガラスのお店は、多賀城市出身・代表の松村さんが2014年8月オープンした「コミュニティカフェ&ガイドツアー タガの柵(き)」です。赤いベースカラーに白で「柵」の文字がデザインされたロゴが際立ちます。一見変わった形は多賀城の外郭を象ったもの、「柵」の文字は中央におかれた政庁、政庁から城下町へと続くメインストリートの南北大路がデザインされています。シンプルなロゴに多賀城を大切にする松村さんの想いがたっぷりと込められています。

多賀

そこまで語るからには根っからの歴史好きいわゆる「歴女」かと思いきや、「ぜーんぜん、そんなことありませんよ。地元に住んでいた頃は全く知らなかったですし」と、松村さんに朗らかな笑顔が浮かびました。

学生時代、国際支援に関心を持っていた松村さんは、技術職であれば途上国支援などに関わるチャンスが訪れるかもしれないと考え、関東で就職、システムエンジニアとして働いていました。仕事にも慣れてきた松村さんは「生活のためだけにお金を稼ぐという働き方で良いのだろうか」と考えるようになります。ちょうどその頃、東日本大震災が起き、多賀城市は海に面した地域では無かったために沿岸地域に比べると報道される機会が少なかったものの、市の1/3が浸水するという甚大な被害を受けました。

それまでは日常で意識をすることがなかった地元の情報に敏感になり、また実家からも地元の情報がたくさん届くようになりました。地元に帰省すると、その情報も一気に増えます。日に日に「地元に貢献できる仕事をしたい」という想いが強くなり、地元での就職先のあてもできたタイミングの2012年の夏、松村さんは仕事を辞め、ふるさと・多賀城市へとUターンをしました。

いざ実際帰省をしてみると、予定していた仕事が無くなるというピンチが松村さんに訪れました。今考えると、これがお店を作るきっかけになったとも言えるようです。松村さんは積極的に市民活動やボランティアに参加しはじめました。地域資源、歴史、地元のお店…あまりにも自分が地元を知らないということに気付きました。地元出身とはいえ、暫く地元を離れていたため、大人になってからの地域との関わりはここが最初となり、活動を通じて地元の方々との繋がりが生まれました。



多賀城の「もったいない」をなんとかしたい!


多賀城市は、奈良・平安時代、朝廷の東北地方統括のために政治・軍事拠点として城柵が築かれました。その城下町は奈良の平城京や福岡の大宰府に次ぐ東日本最大の都市として繁栄を極めたそうで、現在の名前も「多賀柵」(たがのさく/たがのき)が由来で「多賀城」となったと言われています。
「今、東北の中心が仙台と言われているけれど、それだって多賀城があったからこそ」と松村さんの中で「もったいない」という想い、そして知れば知る程、自分のふるさとへの想いが強くなったそうです。

多賀城市

地元でも歴史や名所、美味しいお店を知っている人は「知っている」けれど、「伝え方」を知らない。「なんとかしないといけないんだけどね〜」という言葉はよく耳にするものの、どうしたらよいかわからない、わからないから何もしない、できない…地元の人たちも悩んでいました。そんなとき、たまたま目にした社会起業家育成のプログラムに参加することにしました。出会いは偶然だけれども必然。ここでの講師陣、同志との出会いが、松村さんを大きく後押ししてくれました。
松村さんは自分自身、そして地元の人たちの「なんとかしたい」を形にする決意をするのです。



コミュニティカフェの開業


コミュニティカフェを開業する決意をした後もアレもやらねば、これもやらねば…と悩んだり「間に合わないなとついついのんびりしてしまうんですよね、自分のことは」と松村さん。『「そんなんじゃいつまで経っても開店できないんだから!オープンの日はこの日ね」と開店日を決めて貰ったりと、ケツを叩いてもらっていました』自分で決めていないんですよ、と笑いながら言います。

たがのさく

市民活動に参加していたことで、地域の人たちとの関係が築けており、若い松村さんを応援し、叱咤激励してくれる心強い大人たちがいます。それもボランティア?!お金をとってやる仕事では?!と思うようなことも、地域の為にと仲間と一緒になって取り組んで来ていました。「確かにやり過ぎかなと思ったりもしますけどね〜」あっはっはーと快活に笑う松村さん。でも、そんな松村さんだからこそ、Uターンして1、2年という短期間で周囲から信頼され、応援される存在になったのでしょう。“のどかな町に帰って来た娘”のように思っている方々もいるはずです。松村さんから話を聞いていると、そんな情景が鮮やかに浮かんできました。



コミュニティカフェから広がる可能性


松村さんお店には、多賀城にまつわる本が集められた「タガの柵文庫」、地元の産品などが並びます。ブランディングの過程にも関わったという多賀城市の古代米グルメブランド「しろのむらさき」商品もありました。松村さんは観光ガイドツアーも企画・運営を行っており、まるでここは『多賀城にまつわるよろず屋』です。
もともと飲食業としてカフェを開業したのではないものの、カフェメニューとして古代米の米ぬかを使ったデザート開発をしたり、古代米茶も自分で焙煎しています。変わった名前の看板メニュー「阿久玉餅(あくたまもち)」は、多賀城ゆかりの坂上田村麻呂が愛した女性、悪玉御前の伝説にちなんだものと、松村さんの徹底ぶりがうかがえます。「多賀城をPRできるもの」は、何でも松村さんを虜にしてしまうようです。

「多賀城を発信する場所」として場があることで、店内で販売する商品、生産者、観光情報など地域と、人との関わりはぐっと増えてきています。最近では、町で新しいことをやりたいという人も増えて来て、企画会議が開催されることもあります。



多賀城の玄関口として


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「ガイドツアーにもっと力を入れたい」
オープンから3年目を迎える今、松村さんの想いは更に強くなっています。選択と集中、ビジネスにはバランスが大事です。「作ったからには、この場所を継続させないと」松村さんが経営者の顔になります。好きなことを仕事にする、そこで収益を上げることは簡単なことではありません。「なんでこんなに一生懸命やっているんだろう」と考えることもありました。でも、応援してくれる人たち、仲間のことを考えると「期待に応えたい」「結果を残したい」と自分の心にカツが入ります。そしてそんなことを考えていることが贅沢なのかなと「帰って来た理由」に立ち返るという松村さん。

働き方は=生き方。
「生活のためだけにお金を稼ぐという働き方」ではない働き方をはじめています。これほどまでに松村さんを虜にした多賀城の魅力を尋ねてみました。
「奈良、大宰府と他の日本三大史跡が史都(しと)としてブランドになっているのだから、多賀城だって肩をならべられるはずです」史跡の話をする松村さんは誇らしげで、迷いなど一切ありません。理屈では説明できない好きという想いこそが、一番の力になるといいます。伝えたい多賀城の魅力がたくさんある。嬉しそうに語る松村さんの心は、しっかり地元に根付いています。
「多賀城に来たら、まずここに来て欲しい!」と松村さん。
彼女が玄関口となり、多賀城の「好き」を見つけるきっかけづくりをしてくれるはずです。

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category: 移住者インタビュー   theme: 働く 多賀城市

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